最 高 の 贈 り 物


 2月10日。私は新横須賀港に居た。
「どうした、こんな所まで?」
 突然の訪問に驚く貴章。
「近くまで来たのよ。――ここじゃナンだし、場所を変えましょう」
 そう言って私達は旧倉庫街から離れた。

「で、何の用だ?」
 貴章は少し不機嫌そうな態度で言った。
 港に来たのが気に入らないのだろう。
 しつこい程言われている言葉を思い出す。「港には絶対に来るな。危険な連中がウロついている」。実際に訪れた港の様子はどこの港とも変わらない。貴章は心配し過ぎだと思う。ただ、安全に見えるのは昼間だけなのかもしれないけれど……。
 今まで私は彼の注意を心に留めて、一度もこの場所には足を運ばなかった。いや、本当はその後に続く言葉があったから、私は彼に従っていたのだ。『お前に何かあったら、俺は……』。最後まではっきり言わない貴章の態度はもどかしかったけど、それでも私は充分だった。
「ごめんなさい。貴方の言葉を無視して、こんな所まで来てしまって……」
 今まで私を思い止まらせていた貴章の言葉も、今日の私には効かなかった。仕事で港の近くまで来なければ、約束の時間まで我慢出来たのに。あと数時間で会えるのは解っているけど、理性が彼に会いたいという想いに負けてしまった。だって、今日は特別な日なのだから。
「早くこれを貴方に渡したかったの。貴章、誕生日おめでとう」
 私は、綺麗にラッピングした小さな包みを差し出した。
 怒られると思った。夜には会う約束をしているのに、言い付けを無視して港に来て、誕生日プレゼントを渡すだなんて。
 しかし彼は怒らなかった。
「お前っ…。……有難う」
 本当は怒りたかったのかもしれない。『こんな事の為に、お前は俺の言葉を無視して港に来たのか!』って。でも怒るに怒れなかったのね。私が貴章の言い付けを守らなかったのは、彼の為だったから。
「開けてみて」
 笑顔で言う私に、
「それは夜までの楽しみにとっておく」
 そう返す貴章。
 しかし私は今直ぐに開けて欲しかった。
「いいから、早く開けてちょうだい」
 急かす私に、貴章は怪訝な顔をする。
「なにも今開ける必要はないだろう。夜になったら祝ってくれるんだろ? …それとも、何か用事でも出来たのか?」
 あれ程注意しているにも拘わらず、港に足を運び、そしてプレゼントの開封を促す私の行動に、貴章はどうやら今夜は会えなくなったのだと勘違いしたようだ。
「そうなの、急に仕事が入っちゃって」
 私は貴章の勘違いを利用して嘘をついてしまった。
 だって早く彼の反応が見たいんだもの。
「そうか……、残念だな」
 本当に残念そうに言う貴章。
 ごめんね。安心して、夜は約束通り貴方の誕生祝いしてあげる。
 ワクワクしている私の目の前で、プレゼントを開けた貴章は首を傾げた。
「……これは、もしかして俺の車のスペアーキーじゃないのか?」
 小さな箱の中に入っていたのは車のキー。
「もしかしなくてもそうよ。ふふ、実はプレゼントは貴方の車の中に隠してあるの」
 私は悪戯っぽく笑って見せた。
「なんでそんな手の込んだ事を……。それに、いつの間に鍵を持ち出したんだ?」
「いつでもいいじゃない。それより時間がないわ。早く貴方の車に行きましょう」
 本当は時間はたっぷりあるの。夜、仕事が入ったのは言うまでもなく嘘だし、今日の仕事はもう全部終わってるの。
 私達は港から歩いて5分の距離に在る地下駐車場に居た。
「遠いわ。貴章ったら、港にも駐車場は在るのに、どうしてこんな所に車を停めてるのよ」
 普段の徒歩5分は別に気にならないけど、今は不満を感じてしまう。
「あんな所に車を置いたら、くだらん連中に悪戯されるだろう。それに、潮で車がダメになる」
「そうなの」
「ところで、お前からのプレゼントはどこにあるんだ?」
 貴章はここに来た本来の目的へと話題を変える。
「車の中のどこかよ。ふふ、探してちょうだい」
「何を言ってるんだ。お前、時間がないのだろう。遊んでる場合じゃない」
「貴章が早く見つけだしてくれれば、何の問題もないわ」
 あっけらかんと返す私に、貴章はちょっと呆れ気味な顔をし、それでもプレゼントを探し始めた。
 トランク、ダッシュボード、シートの陰……。どこを探してもそれらしき物は見つからない。彼の車は余計な物が積まれていない為、探す所などあっという間になくなってしまう。
「どこにもないぞ」
 運転席に座り込み、お手上げといった様子で言う貴章。
 私はそのドアを閉め、助手席に乗り込んだ。
「あるわ。しっかりと目を凝らして探してみて」
 貴方の目の前に在るでしょう?
「…………降参だ。どこにあるのか教えてくれ」
 ちょっと疲れ気味に言う貴章。慣れない事はさせるものじゃないわね。
「もう…、仕方のない人ね」
 私は軽く溜め息を吐いた。

「ねえ、この前の私の誕生日を覚えてる?」
 突然の私の言葉に、貴章は、
「急に何を……?」
 と困惑する。
「いいから聞いて。あの時私はね、今年こそ貴方から指輪を貰えるって信じてたのよ。それなのに、貴方ったらいつもと変わらない様子でブローチをくれたわ。あの時の私のガッカリした気持ちが解る?」
 怒ってる訳じゃないけど、拗ねるだなんて子供っぽい表情を見せたくない私は、ただ貴章を見つめた。
「バカだな。指輪が欲しいのなら、そう言えばいいじゃないか。『何か欲しい物はあるのか?』と聞いた時、お前は『何もない。貴方が選んでくれた物なら、何だって嬉しい』と言ったじゃないか」
「バカは貴方よ。それじゃ意味がないじゃない」
 女心をちっとも解ってないわ、貴章。
「今日のお前は訳が解らないぞ」
 私の言葉に、ムッとした様子で言葉を返す。
「怒らないで。別に喧嘩するつもりはないの。ただ、私は思ったのよ。貴方の誕生日には、貴方の一番欲しい物をあげようって。私みたいにガッカリさせたくないからね」
「俺は何だって嬉しいぞ」
「本当に? 自分の車の鍵でも?」
「プレゼントなんて無くても、俺は、お前が俺の誕生日を祝ってくれるだけで幸せだ」
「一生、夜に待ち合わせをして、レストランで食事をして、プレゼントを渡して……。そんな短い時間だけのお祝いでいいの?」
「なに?」
「私ね、ブローチも嬉しかったのよ。翡翠をあしらった蝶の形のブローチ……。あれは貴方の気持ちと受け取って良いのよね?」
 中国では不変の愛の象徴として、蝶の形の翡翠を婚礼の時に贈る。つまり、指輪と変わらない価値のある贈り物。だけど……、
「蝶は本当に不変の愛を保証出来るのかしら? 花から花へと舞い渡る蝶は、私には移ろいやすいものに見えるわ」
 そんな物だけで、貴方は私の心を捉らえていられると思っているの? 煮え切らない貴方の態度、もう充分待たされたわ。
「何が言いたいんだ?」
「…………ここまで言っても解らないなんて……。貴章のバカ」
 涙が出てしまいそうになる。貴章……。貴方、本当に私の事を愛してくれているの?
「答えてちょうだい。貴方は何が一番欲しいの? 本音を見せなければ失うものもあるって解ってる?」
 蝶はいつまでも同じ所には居られない質なのよ。その場所に留まらせる強い理由が無ければ、あっという間に飛び立ってしまうもの。
 もし私が蝶だったら……? 私だって、貴方の目の前から消えてしまうかもしれないわよ。
「……まだ時期じゃないと思っていた」
 貴章はゆっくりと話し出した。
「お互いに仕事が忙しいし……、今の俺は色々と立て込んでいる。そんな状態で結婚などしたら、お前に辛い思いをさせるかもしれない」
「辛い思いって何よ?」
「せっかく結婚をしても、一緒に居られる時間は限られた短い時間しかない。家にお前を一人にして、寂しい思いをさせたくない」
「それは今でも変わらないじゃない。私は一人暮しだし、こうして会えるのは月に2度有るか無いか……」
「今、俺が関わっている問題も分かっているだろう。お前に心配を掛けるのは嫌なんだ」
 彼が関わっている問題――。中国の或る裏組織と少年の件ね。
「心配なら、もうとっくにしているわ。今回の件だけじゃないでしょう? 貴方が危険な事に関わっているのは。大体、結婚していてもいなくても、貴方を愛した時から、私は貴方の身を案じているわよ。寂しい思いをさせたくない。心配を掛けたくないだなんて、私はそんなに頼りない?」
 この5年間、貴方は私の何を見てきたの?
 真剣な表情の私を見て、貴章ははっとした様な顔をする。
「ふっ……。臆病だったのは俺なのか……」
 微かに苦笑いを浮かべ、ハンドルに置かれた自分の手に額を当てる貴章。
「……俺が、今、一番欲しいものは……、お前との確実な未来だ」
 顔を上げた貴章は真剣な眼差しで私を見つめ、そして私の背に両手を回すと、そっと自分の胸に抱き寄せた。
「こんな……、どんな物よりも尊いプレゼントをねだっても……、お前はそれを俺に贈ってくれるか?」
「もちろん」
 私は彼の腕の中で微笑んで答えた。
 そして――、
「結婚しよう」
 私の唇と貴章の唇に、不変の愛を誓う蝶がとまった。


THE END